契約の箱のふた






Rom 3:25 神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物(ヒラステリオン)として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。
Rom 3:26 それは、今の時にご自身の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。

Rom 3:25 whom God put forward as
a propitiation by his blood, to be received by faith. This was to show God's righteousness, because in his divine forbearance he had passed over former sins.
Rom 3:26 It was to show his righteousness at the present time, so that he might be just and the justifier of the one who has faith in Jesus.




これらの聖書の箇所から、重要なことを学ぶことができる。

ローマの3:25において、パウロは、イエス・キリストを、父なる神が、「なだめの供え物」として、公に示したと書いている。そして、それは神の義を現わし、また、イエスを信じる者を義と認められるためだと。

これは、私たちの救いに関する、中核的な真理を示している。ゆえに、この御言葉の真意を理解することは、自分の救いの理解へと繋がる。そこで、この箇所をよく見てみよう。

日本語で、「なだめの供え物」と訳されている、ギリシア語原文のヒラステリオンということばだが、それは、ヒラスコマイという単語から派生している。ヒラ スコマイとは、「なだめる」という意味であり、あるいは、「哀れみを持つ」「和解をする」などの意味もある。ゆえに、「なだめの供え物」という訳も成り立 ち、、英語でも、それをpropitiation と訳している。その意味は、「なだめるもの」ということになる。

しかし、パウロが使った、一世紀におけるヒラステリオンという単語の用法は、契約の箱の蓋を直接的に意味している。つまり、「なだめの供え物」を、1世紀 のクリスチャンとして、旧約聖書のTORAHと関連して読むならば、それは、「契約の箱の蓋」という意味しかないのだ。

G2435
hilasterrion
hil-as-tay'-ree-on
Neuter of a derivative of G2433; an expiatory (place or thing), that is, (concretely) an atoning victim, or (specifically) the lid of the Ark (in the Temple): - mercyseat, propitiation.

G2433
hilaskomai
hil-as'-kom-ahee
Middle voice from the same as G2436; to conciliate, that is, (transitively) to atone for (sin), or (intransitively) be propitious: - be merciful, make reconciliation for.


ちなみに、ヘブル書9:5では、ヒラステリオンという単語を、贖罪蓋と正しく訳している。

Heb 9:5 また、箱の上には、贖罪蓋(ヒラステリオン)を翼でおおっている栄光のケルビムがありました。しかしこれらについては、今いちいち述べることができません。

したがって、ローマ3:25「なだめの供え物」というのは、後代の一般的な訳を用いており、それでは、他の宗教の「生贄」にも当てはまるものである。しか し、パウロは、ここで、世界中にある、偶像教のことを述べているのではなく、聖書、すなわちヘブル聖書の指し示す、唯一の神とキリストの関係について述べ ているのである。ゆえに、ローマ3:25をこのように読むことができる。

Rom 3:25 神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、贖罪蓋(ヒラステリオン=契約の箱の蓋)として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。

私たちの主、イエス・キリストは、あの契約の箱の蓋として公に表されたのだ!この重大性をパウロは、ローマのクリスチャンに伝えようとしていたのだった。それでは、トーラーから贖罪蓋を見てみよう。

Exo 25:10 アカシヤ材の箱を作らなければならない。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半、高さは一キュビト半。
Exo 25:11 これに純金をかぶせる。それは、その内側と外側とにかぶせなければならない。その回りには金の飾り縁を作る。
Exo 25:12 箱のために、四つの金の環を鋳造し、それをその四隅の基部に取りつける。一方の側に二つの環を、他の側にほかの二つの環を取りつける。
Exo 25:13 アカシヤ材で棒を作り、それを金でかぶせる。
Exo 25:14 その棒は、箱をかつぐために、箱の両側にある環に通す。
Exo 25:15 棒は箱の環に差し込んだままにしなければならない。抜いてはならない。
Exo 25:16 わたしが与えるさとしをその箱に納める。
Exo 25:17 また、純金の
『贖いのふた』を作る。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半。
Exo 25:18 槌で打って作った二つの金のケルビムを『贖いのふた』の両端に作る。
Exo 25:19 一つのケルブは一方の端に、他のケルブは他方の端に作る。ケルビムを
『贖いのふた』の一部としてそれの両端に作らなければならない。
Exo 25:20 ケルビムは翼を上のほうに伸べ広げ、その翼で
『贖いのふた』をおおうようにする。互いに向かい合って、ケルビムの顔が『贖いのふた』に向かうようにしなければならない。
Exo 25:21 その
『贖いのふた』を箱の上に載せる。箱の中には、わたしが与えるさとしを納めなければならない。
Exo 25:22 わたしはそこであなたと会見し、その
『贖いのふた』の上から、すなわちあかしの箱の上の二つのケルビムの間から、イスラエル人について、あなたに命じることをことごとくあなたに語ろう。


出エジプト25章に契約の箱の制作に関する記述がある。18節から22節において、「購いのふた」の設計図が描かれている。そこには、二つの金のケルビム がその蓋を覆うように置かれている。そして、22節が極めて重要なのだが、神はそのケルビムの間から、イスラエル人について命じることを語ろうと書かれて いる。

つまり、「ヒラステリオン=購いのふた」は、神の声を直接聞く場所であり、神の臨在が最も明確に現れる場所のことである。したがって、パウロがローマ書で 言いたかったのは、イエス・キリストを通して聞く神のことばとは、あの契約の箱の蓋で語られた神のことばと同じ重みを持つということである。

つまり、契約の箱が生きた形となったのがイエスであり、契約の箱とは、イエスキリストをあらかじめ示していたということである。これは極めてヘブライ的表 現であり、トーラーの基礎がなければ意味を為さないことだ。パウロの書簡の様々な意味は、ヘブライ的文脈で読み下さなければならない。

しかしこの真理は、ユダヤ人だけではなく、すべての異邦人にとっても究極の福音理解となる。なぜなら、エルサレムの神殿の至聖所こそが、神の臨在の最も究 極的な場所であり、具体的に言うなら、契約の箱の蓋こそが、その位置なのである。キリスト(油注がれたお方)であるイエスは、神がイスラエルの民に詳細に 渡って説明し、構築させた荒野の幕屋の中核的存在である契約の箱、その臨在をその身に現わされたお方であった。

そのキリストは、昨日も今日もいつまでも同じお方ということは、このような意味である。

かつては、荒野の幕屋の中の契約の箱の蓋で、主イエスは現わされた、そして、二千年前、人の子として、マリア(ミリアム)を通して現れ、十字架を経て復活 し、そして、今も生きておられるのだ!彼は今日も、契約の箱の蓋として、最も聖なる臨在を私たちに現わしてくださっているのだ。

聖書は時空をこのように越えて連続的に存在する神を教えている。決して、旧約の神、新約の神が違うなどということはないのだ。

キリスト・イエス=なだめの供え物(ローマ3:25)=贖罪蓋(ヘブル9:5)=贖いのふた(出エジプト25:22)

この連続式を覚えておこう。

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