老人は夢を見る


昨日寝る前に「主よ、夢の中でも語ってください」と祈った。
そうして、明け方に夢を見た。
その夢の中で、見知らぬ男性(日本人)が私に、「ガラテヤ書2章20節を読みなさい。」と言っていた。もちろん、夢のストーリーは波乱万丈で、脈絡のないことの連続でしたが、不思議とその場面だけははっきりと覚えて目が覚めた。
そこで、寝ぼけた頭のまま、聖書を開いてみると。
「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」
(ガラテヤ2:20)」
とありました。
これは、もちろん、新約聖書の非常に有名な箇所です。
寝ぼけていた時は、度忘れしていましたが、読んだら、「これは!」と思いました。
今の私が確認しなければいけないのは、この真理なんですね。
つまり、命の本体は、イエスの十字架と復活にあるのだということです。また、信仰(フェイス)とは、それを、この地上の限界ある世界だけに押し込むのでは なく、霊的に解放された世界観で見ることができるということ。つまり、私は、この世のあらゆる呪縛、制約から、キリストにあって、完全に自由であるのだと いうことを、確認したわけです。
というわけで、主イエスは生きておられます。
そして、主は、御言葉で語られるのです。
主に栄光!

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